©Kanayama Akira and Tanaka Atsuko Association
ヴァシリー・カンディンスキー
《「E.R.キャンベルのための壁画No.4」の習作(カーニバル・冬)》
1914年
1911年頃、カンディンスキーは特定の対象を示さない、色と形そのものを表現内容とする絵画を創始しました。本作品は4点組の連作のうち1点の、完成に近い習作であり、初期抽象絵画の到達点を示す貴重な作例です。
画面には、カンディンスキーが抽象形体を生み出す着想源となった、虹や舟、ラッパなどの黙示録に関連するモチーフの名残が見られます。ほとばしる色彩が響きあい、音楽となって精神を揺さぶるかのようです。
海老原 喜之助
《ポアソニエール》
1935年 洲之内コレクション
海老原喜之助がフランスから帰国した翌年に描いた作品で、パリでも評判となった青を基調とした爽やかな色彩や、くっきりとした陰影による綿密な構成を見ることができます。題名に異国情緒を感じる一方で、魚売りを描いた庶民的なテーマには親しみが感じられます。
従軍中この作品の複製を眺めて心を救われた洲之内徹が、戦後、実物とめぐり逢った話等から、洲之内コレクションの中でも、最もよく知られた一点です。
長谷川 潾二郎
《猫》
1966年 洲之内コレクション
髭が片方しかないのは、遅筆だった上に、実物を眼の前にしないと描けないという作者が、絵を描くのに何年もかかってしまい、その間に猫が死んでしまったから。そんな逸話が洲之内徹によって紹介され、人気となった作品。
薄いグレーと赤の鮮やかな対比、楕円形にまとめられた猫の形等、無駄のない簡潔な構成は、丁寧に描かれた愛猫の存在感を引き立て、画家とモデルの時間を結晶化したような、詩的な世界を創り上げています。
松本 竣介
《画家の像》
1941年
中心には毅然と立つ作者と家族、木箱の上には画家の道具、背後に広がる街景には、無数の人々の暮らしが描かれています。
本作品を二科展に出品する半年前、松本竣介は、雑誌『みづゑ』に掲載された「国防国家と美術」という記事に対し「生きている画家」を寄稿し、反論しました。芸術さえも翼賛体制に組み込もうとする戦時下において、自分が何者であるかを問うた大作を発表した背景には、緊張感に満ちた切実な覚悟がありました。
高橋 由一
《宮城県庁門前図》
1881年
高橋由一が宮城県を訪れた当時、元仙台藩の学問所、養賢堂の講堂が、県庁舎として使われていました。堂々たる養賢堂の建物も、明治の官衙(ルビ:かんが)に相応しく、板張りの床やガラス戸に改修され、正面には白い洋風の門が建てられました。この新奇な風景に、由一は、バルビゾン派の流れをくむイタリア人画家、フォンタネージの影響をうかがわせる逆光の木立や、馬車のシルエットをあわせて、情趣的な記録画を完成させました。
パウル・クレー
《力学値のつりあい》
1935年
「数値のつりあい」を示す記号、「=」がまず目に入ります。クレーはこの記号をきっかけに、視覚を通じてつりあいの感覚を呼び起こそうとしたのではないでしょうか。画面の中心で2本の線が交わり、この点を囲むように線や記号が浮遊しています。赤と青の領域が、やはりこの点を中心に点対称状に配置されています。画面を埋め尽くす白い点状のタッチは、この均衡がゆるやかな動きの中で保たれている印象をもたらしています。
田中 敦子
《WORK 1964》
1964年
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